「
久しぶりに聞いた母の声は記憶より少し、
「あんまり急かす気はないんだけど良い話があって…」
先が読める切り出しに、少し頭が痛くなった。
もうこの時点で嫌な予感がするがいきなり切る訳にもいかずに渋々適当な相槌を打つ。
「立派な家柄のお嬢さんなのよ。ちゃんと良い学校も出ていて今は銀行に」
なんてことのないよくある見合い話で、地元のそこそこ裕福な家の娘さんが三十手前ながら浮いた話も無く、なんとかしてやらねばと動き始めた過保護な親が時代遅れも甚だしい見合いなどというものに乗り出し、そんな話を受けた私の母もまた浮いた便りのない哀れな息子を想ってここはひとつ、出会いの場をセッティングしてやろうというものなのだ。
「まあ一度会うだけでも…」
確かに俺も三十年と少し、浮いた話はない。
しかし親に恋の話なんぞを自分からする男というのは聞いた例がないし、今同じ職場の女性に思いをつのらせている、今度デートに誘ってアタックするなどとは口が裂けても言わないし言いたくもない。
………
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「あー…」
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口から空気が漏れるような気の抜けた声が出る。
日本人ならよく出す、乗り気じゃない時の鳴き声のようなそれはおそらく電話の向こうの相手をがっかりさせただろう。
一応気を使い「悪いけど」と前置きをした上で話を続けた。
「来年転勤があるんだ。辞令が出て」
これは事実だ。
別に適当な言い訳をでっちあげたのではない。
「だから今はお見合いなんてする余裕はなくて」
出来ればずっと今の研究室にいたかった。
別に、なにかしでかして飛ばされるってわけじゃない、単に経験のため、誰もが通るありきたりな道だし特にケチを付ける気もない。
すっかり慣れ親しんだ室内をひとしきり眺めた後、なんとはなしにコーヒーを
正直言うとずっと彼女は欲しかった。
しかし恋を
こんなやつは日本全国どこにでもいるだろう。
そんな俺だからそのまま月日は流れ一人寂しい老後を…という未来図は簡単に想像できるしそれはそれで別に構わない。
でも実は内心いいなと思っている相手がいる。
最近休憩中によく話す、同じ部署の…
「柏木さん?どうしたんですか?ぼーっとして」
いきなり後ろからかけられた声に肩が跳ねるほど驚いた。
たった今淹れたばかりのコーヒーがコップの中で大きく揺れるが幸い、手にかかることも溢れなかった。