会社につくと、いつも通りの職場の雰囲気に包まれて、今朝の電車でのことがまるで夢だったかのように感じられる。
「おはようございます」
朝の挨拶をしてオフィスへ入ると、
「マリコさん、おはようございます!」
まるで子犬のように、後輩の松村が笑顔でよってくる。
会議中にぼーっとしていたマリコを心配してくれた松村の顔を見るのが、なんだか心苦しいような気分になってしまう。
少しだけぎこちないマリコに気付くことなく、松村はいつもどおり、柔らかな笑顔をマリコに向けた。
「マリコさん、今日のお昼、少しお話したいことがあるんですが……」
「うん、私でよければきくよ」
「ありがとうございます!じゃあ、俺車だしますね!」
手を振って去っていく松村に笑い返して、マリコは席に着いた。
(話したい事って……なんだろう……?)
仕事の相談、だろうか?でもわざわざお昼に車を出してまで自分に話したい事なんて、彼にあるのだろうか――?
想像もつかないが、声を掛けてくれたということは何かしらあるのだろう。
今朝のことを頭から振り払うようにして、マリコは仕事に没頭した。
「マリコさん、行きましょう!」
昼休みになると、マリコの席まで松村がやってきた。
今朝言っていた通り、車の準備をしてあるらしい。
彼の営業車に乗って、彼が好きだというイタリアンレストランに車を走らせる――
車内でも松村は楽し気に話をしていて、マリコも楽しい時間を過ごした。
マリコにとってはかわいい後輩だが、社内では彼に思いを寄せる女性社員も多いと聞く。
それも納得だと、マリコは思った。
レストランについて、ランチを注文する。
1000円しないランチだが、豪華でとても美味しかった。
「それで、話ってなんだった?」
頼んだグラタンを口に運びながら、マリコが聞く。
ああ、と頷いた松村が、口元をぬぐってパスタを食べていたフォークを置いた。
「あの、実は……」
「うん?」
「俺、今朝マリコさんのこと、電車で見かけたんですけど……」
「……え?」
それを聞いた瞬間、さっと体温が下がった気がした。
(見てた……って、朝の、あの……)
「え、その……あの……今朝って……」
「……マリコさんが、その……」
言いにくそうに言葉を探す松村を前にして、マリコはなんといっていいかわからなくなった。
恥ずかしい、見られていたことも、今そのことを告げられていることも……。
「そ、うなんだ……」
なんとか言葉を口にしたマリコに、松村がばっと顔を上げた。
「あの、俺、誰かに言うつもりなんてありません!でも、その……」
「う、うん……」
「心配、なんです……マリコさんのこと……」
そう告げる松村は、真剣な表情だった。
それ以上は何も言わず、松村はまたパスタを食べ始める。
マリコも、残ったグラタンを無言で食べ続けた。