恋のはじまり

憧れの彼…

今日も彼は私の前にいた。

そして彼は私の目を見つめる。

金曜の朝、いつもと同じ時刻の、同じ人を乗せた電車に乗る。

いつもと同じように奥の扉の横に立つ。

混み合う時間帯だから座れたことは無いけれどドアサイドは居心地が良い。

横にも後ろにも体重をかけられるし他人とぶつかることもない。

そして彼がいる、憧れの。

春までは立ち位置が定まらず、あちこちのつり革を掴んでいた。

けれどある時から車内に進入するといかにも心地良さそうな空間が生まれることに気付き、私はそこへ収まるようになっていた。

しばらくしてから真向かいに立つ人が毎朝同じであることに気付いた。

背が高くて、落ち着いた色のパーカーと黒のパンツがよく似合う、茶髪の若い男性。

顔を見ようとしたら窓の方ばかり向いて、最初の頃は顔を知らなかった。

横顔と骨格からイケメンオーラがだだ漏れな彼の顔を知らないままでいる選択肢は考えられず、怪しまれない程度に根気よく顔を上げていた。

そしていつの日か、目が合った。

びっくりするほどカッコよくて、とてもタイプな顔だった。

大きな瞳と涙袋、艶っぽい唇が魅力的な甘いフェイスで、明るい髪色がピッタリ。

思わず声が出てしまいそうになって私は露骨に顔を下げた。

その日以降、何故だか彼は横顔をほとんど見せなくなった。

顔を上げると、彼はこちらを向いていてよく目が合った。

外見が好き、中身も知りたい、そんな気持ちで彼を見ていたけれど、彼は何を思って私を見ているのだろう。

彼の優しい表情とキラキラとした瞳に吸い込まれてしまいたい。

彼の視界に入るならできるだけ可愛い姿で在りたくてヘアメイクにかける時間は倍になった。

コーデもワンパターンにならないように努力して、男ウケの良い服を選んだ。

触れ合ったこともなければ声を交わしたこともない相手と、平日の朝15分間向かい合って立ち、僅かな時間目を合わせる。

その少ない時間が愛おしくて、彼に対する “好き” が積もった。

今日も彼は相変わらずカッコよくて、私は素敵な時間を過ごせた。

彼は私の降車駅より一つ手前で降りる。

背を向けて電車を降りるときだけ彼を図々しく見ることができた。

通常は「また明日」と心の中で呟くけれど、今日は金曜だから「また来週」と少し寂しい気分。

そして特別感が過ぎ去った時間が進む。

駅を出て、職場に向かい、ひたすら仕事。

桃川ももかわさん、印刷会社の方が来てます」

オフィスの出入口に近い位置の先輩に声を掛けられた。

高い棚が並んでいるせいで出入口付近の様子はここからは見えない。

でもいつも訪れる男性なら今にでも顔を出して威勢の良い挨拶を響かせる。

しかし今日はその気配が無い。

一体誰だろう。

資料を持ち、棚の角を曲がった。

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POSTED COMMENT

  1. blank にゃんこ より:

    前回の笹尾さんに続き、男の子が下品でなくてストーリー全体に好感が持てます。こんな感じのまた待ってます!

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