マニアック

絶頂行痴漢電車

 ――あぁ、やっぱり今日も……。

 伸びてきたその手の体温に、私は小さく震え、そしてくらい喜びを隠すことができなかった。

 辞書で『すし詰め』と引いたら『今まさにこのこと』と出てくるような満員電車。

勤務先の最寄り駅まであと七つというところで、多くの人が降車する代わりに、その人は乗車する。

 柔らかく、円を描くように、優しく、でもはっきりとした動作で――私のお尻を撫でる武骨ぶこつな手。

(ふ、ぁあ……くすぐったぃ……)

 くるくると形を確かめるような手つきから、お尻と太ももの堺を指の腹でばらばらにくすぐられ……

まるで猫があごを撫でられるときのようなそれに、たまらず声が漏れそうになる。

(あぅ……もう、いっそ捲ってよ……! 焦らさないでっ)

 彼はぴったりと臀部でんぶの形に添ったスーツの上から、大事なものを可愛がるように撫でるばかりだ。

 指の腹をすぅっと曲線に沿って滑らせ、猫の顎を撫でるようにくすぐられるのがたまらない。

かと思えば、てのひらで全体をまさぐられ、その大胆さにびくりと反応してしまう。

 布越しに伝わる温度はもどかしいのにとても遠く感じて、はしたないと自分をたしなめる気持ちが加速した。

一方で、火遊びに似たその感覚は私にたまらなく昏い喜びを与える。

 私は周囲にばれないように少しだけ足を開き、身体を彼の方に寄せる。

彼が少し笑った気がするけれど、そんなことは気にしていられない。

(今日は、どこまでしてくれるのかな……)

 そんな期待を込めながら、一方で、一か月前の私だったら卒倒しそうな思考が脳内をぐるぐると駆け巡る。

 新卒で就職してから毎日乗っている通勤列車で、私、文乃あやのは痴漢をされている。

 つい最近、一か月前……彼と出会うあの日まで。

 私は特に特筆すべきことのない人生を送ってきた、はずだったのに。 

 ………

………

………
 その日は例の駅……彼が乗車する駅で、珍しくあまり人が降車しない日だった。

(えぇー……学生が夏休みに入ったからもっと人が少ないと思ったのに)

 もう何年も乗っているのに、前日の寝不足も相まって朝からうんざりしてしまう。

(……ん? なんか、脚に違和感?)

 先ほどから太ももに当たる何かが不自然な動きを見せていて、避けようとするたびに追いかけられている気がした。

(なんだろ、これだけ人が多いと逃げにくいな……って)

 その日の服装はワンピースだった。形が崩れるのが嫌だった私はことさらに憂鬱ゆううつで、何度避けても当たってくるそれが徐々に許せなくなってきていた。

(あぁ、もう! なんで避けられないかなぁっ!)

 当たっているそれが『手』なのか『鞄』なのか、はたまた『脚』なのかの判別がつかず、私はスマホを握ったまま振り払う。それでもしつこい何かが離れないのに苛立ち、勢いをつけたときだ。

「……痛てぇっ!」

 私の手は背後の何かを思い切り叩いてしまった。

小さくも、悶絶するような、苦痛に満ち満ちた悲鳴が上がる。

「え? あ、あぁっ! すみません……!」

 一瞬、なんのことかわからずに反応が遅れる。

 声の主は斜め後ろにいた人物で、脚に何かを当てていた人物とはまた別の人だ。

 人が多くて肩口にしか振り向けない。

身長差も手伝って至近距離の隣の人物も、その後ろの声を上げた人物も顔を伺うことができない。

(何? 今の……振り払ったものは手だったけど、ぶつかったものは固かった……?)

 棒状の、それこそ、布に包まれた筒のような?

「……おい、あんた……」

「ひっ!」

(どうしよう、もしかしてヤバい人?)

 地を這うような低いうなり声に、思わず身を固めた時だ。

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