それからささやかなキスをした。
彼は少し疲れた様子だったけれど微笑んでくれた。
「先にシャワー浴びてきます」
ベッドを降りた彼はバスルームの方へ向かった。
今まで彼といたベッドは酷く乱れていて、それだけ激しく求め合っていたことが見て分かった。
酔ったような感覚もあったけれどバスルームからの水音が平常を取り戻す手助けをしてくれた。
「麻衣さん、良かったらどうぞ」
タオルを腰に巻いた彼が部屋に戻ってきた。
私も続いてシャワーを浴びる。
流し終えてバスルームを出た所で身体を拭いていると前にある大きな鏡の端に彼が映った。
「拓也くん…」
彼の存在に気付いたと同時に、後ろから抱き締められた。
突然のことでバスタオルは手から離れ、彼に抱かれた裸の全身が鏡に映される。
「もう前みたいな関係に戻りたくない」
「戻らなくていいよ」
「でもこんな風に始まるのって普通じゃないよね」
彼の甘く切ない声が注がれる。
俯いているせいで鏡には彼の顔が映らない。
「初めて麻衣さんを見かけたのは俺が高1の時、通学電車で。時々同じ車両に麻衣さんが乗ってきて…見かける度に気になってた」
「え、そんなに昔から…?」
「うん。話しかけたいって思ってたけど、高3って書いてある本を読んでたのを見て…俺は年下だし麻衣さんと同じくらいの身長だったから全然自信なくて…何もできないまま俺が高2になったら、もう麻衣さんを見かけることはなくなったんだ…」
「うん…」
「でも、また会えた。今年の春に通勤電車を変えたら麻衣さんが乗ってきた。それでもやっぱり話しかける自信が無くて…けど少しでも近づきたくて…そのうち目の前に麻衣さんが立ってくれるようになった。本当に嬉しかった」
そんな風に彼から思われていたなんて知らなかった。
「会ってない時も気持ちだけがデカくなって、顔を見れば見る程どうしたら良いのか分からなくなって…今日は何にも我慢できなかった…ごめん」
「ねぇ…んっ」
声を出そうとしたら彼の唇が重なった。
私だって彼が欲しくて堪らないし我慢なんて必要ないのに。
どれだけ絡み合っても唾液を交換しても全然足りない。
「んっ…あぁん…」
荒々しく乳房を弄ばれ、また呼吸が荒くなる。
鏡に映し出されるその姿は卑猥で誰にも見られたくないのに、彼は鏡越しに私の全てを見ている。
「やっ…あ、んあっ」
既に濡れてしまっていた割れ目に彼の指が入る。
優しいタッチが何度も繰り返されて足に力が入らない。
彼に対する感情が大きくなったせいか、彼と触れている部分すべてが気持ち良い。
「っあぁぁ、あ、あんっ…」
力が抜けて彼に身を任せ、私は快感の波に呑まれた。
彼の前で3回も絶頂を迎えてしまった。
「麻衣さん。強引にしちゃってごめん…」
「ううん、大丈夫だよ」
「もうこんなことしないから…着替えたら出よっか」
「えっ…拓也くん?」
どこか様子の変わってしまった彼にそれ以上何も言えなかった。
身なりを整えリップを塗って、それからホテルを出た。
歩いている間、彼とはほとんど話せなかった。
駅に着くと人気の少ない車両に乗り込み、彼と初めて横並びに座った。
「初めてだね。こうやって隣に座るの」
「うん。帰るのも初めて」
彼はトロンとした顔で微笑んだ。
電車が動き出すと彼の体は心地よく揺れてもう眠ってしまいそうだった。
すると彼の右手が伸びてきて、私の左手に重なった。
「拓也くん」
彼の耳元で囁いてみたけれど届いていないようだった。
できることならこのまま彼が起きるまでずっと隣にいてあげたい。
私もウトウトしていたせいか降車駅に近づいていて速度が落ちていた。
「麻衣さん…起きてる?」
「起きてるよ」
「今日はありがとう」
「こちらこそ。会えて良かった」
言い終える頃には扉の開く音がした。
彼の優しげな表情に何だか安心して私は席を立った。
「行くね」
「気をつけて」
繋いだ手を惜しむように解いて電車を降りた。
彼を乗せた電車は動き出し、彼は遠くへ行ってしまう。
「夢かもしれない」と言った彼の顔が鮮明に思い起こされた。
休日はふとした瞬間に彼のことを思い出して言い様のない感情が浮かんでは消えた。
そして月曜の朝、いつもの電車に乗った。
「おはよう」
私の場所がそこにあって、彼がいた。
朝初めて声を交わし、それから手を繋いだ。
前回の笹尾さんに続き、男の子が下品でなくてストーリー全体に好感が持てます。こんな感じのまた待ってます!