恋のはじまり

ハッピーチョコレート

「はぁー外寒かったねー……どうぞー。あがってー」

「……お邪魔します」

私の住むアパートを目前に、伏見の口数は減っていった。なんか、借りてきた猫みたい。

「コーヒー切らしているからお茶入れるねー。てか、ケーキうちで食べてっちゃう?」

「あー……食ってく」

私がお茶の準備をしているところ、伏見はきょろきょろと落ち着きがない。「なんか珍しいものでもあった?」と聞いても「いや、別に……」と歯切れが悪い。

よくわからないので気にしないことにしよう。

私は一度ラッピングしたケーキをお皿にデコレートする。せっかくなので家にあったフルーツも添えてみた。

「はい!莉乃ちゃん特性ケーキですよー!」

「……思ったよりすげぇな」

「ふふふ……ん?いや、思ったよりって何よ」

「お、美味いな。これ」

なんか引っかかることを言われた気もするけれど、一応は褒められたので結果オーライとしよう。

そこそこボリュームのあったチョコケーキを伏見はものの数分でぺろっと食べきってしまった。

「伏見って甘いもの好きだったっけ?」

「……普通だな」

「ふーん?じゃあ気に入ってくれたってこと?」

「ま、まぁ……つか、一応確認するけど、お前彼氏いないよな?」

「いないことを確認されるのは若干むかつく。……まぁいないけどさ。なんで?」

「彼氏持ちの女の家にあがっちゃまずいだろ。でも、男っ気ないもんな。この部屋」

きょろきょろしていると思ったらそんなとこ見てたんかい!

思わずツッコミそうになったところで、「なぁ」と神妙な声で遮られる。

「俺以外の奴にも用意してたんだろ?……誰に渡したんだ」

一瞬。なんのことだっけ、と思ってしまった。

「お、おう……引きずるね。随分」

「茶化すなよ。なぁ。俺のこと家まで上げたってことは、脈が全くないわけじゃないって捉えて言い訳?それとも俺、からかわれてんの?」

「違っ……!ふ、伏見以外にあげたのは……女友達と、教授だけ、だよ」

「なぜ教授」

「だ、だって!伏見、誰にもチョコ渡す予定のない私のことからかう気満々だったじゃん!だから、その、ついこの間は見得張っちゃったんだもん!」

「……で、張った手前誰かにあげようと思って思いついたのが教授か」

「後腐れのない究極の義理かなぁー……なんて」

ちょっとバツが悪い気もしつつ続けると、幸美ちゃんと同じく「失礼の極みか」とため息をつかれた。

「俺が食ったケーキと同じの渡したのか?」

「ううん。教授にはそこそこいいとこのやつで、幸美ちゃん達はマカロンで……手作りは伏見だけだよ」

何気なく説明して……もしやこれは全部市販にするべきだったか?と思い返す。

「俺のは、なんで作ってくれたんだ」

「そ、その方が好みかなー?って……ほら、高級チョコ興味なさそうだったから」

本当に思った通りのことを言ったんだけど、なんでこんな言い訳めいた気分になってしまうのか、自分でもよくわからない。

「だ、だめだった?」

もしかして手作り嫌な人だったのかな?

表情の見えない伏見をのぞき込むと、そっと頬に手を伸ばされる。そして

「……ん」

一瞬、柔らかくて暖かいものが唇に触れた。

「……もう、我慢してやれねぇんだけど」

キスされた、と合点がいくよりも早く。

一度離れた唇が、もう一度重なる。

「んん!……ふ、ぁ!ね……な、に?」

それはまるで噛みつくように。

私の酸素を奪うようなキスで……伏見が知らない男の人に思えて、背筋がぞくりとする。同時に、必死な表情が切なそうに見えて、本気の抵抗なんてできなかった。

「ね、伏見、ちょっと……っ!お、おちついて……」

背中に回された腕はがっしりと固い。

中学時代は対格差もなかったはずなのに、大人の男の人ということに嫌でも意識してしまう。

ぎゅうっと抱きしめられると、厚い胸板が苦しい。

「なぁ、これ、俺の勘違いだとしても、お前だってひどいだろ」

「……え?」

「好きな女の家あげてもらって、自分だけ手作りのチョコとか……脈ないってわかってても、期待しちまうんだよ……!」

抱きしめられたときから、気付いていた。

驚いて、焦っている私より、伏見の心音が暴れていること……少し、泣きそうな表情なこと。

――あぁ、もう。

私は、腹をくくるしかないな、と思った。

「なく、ない」

「……あ?」

「脈。なく、なんか、ない……。他の誰かに、わざわざ手作りなんかしないもん」

今すぐ恋人になりたいとか、そういうことを考えたくなかった。

願うような形に至れなかったときに、当たり前にいた存在を手放すことのほうが怖かったから。

甘えられるなら、ぬるま湯に浸かっていたかった。

「伏見は、私と、どーにかなって、くれるの?」

「……どーにかって、何」

「こ、恋人、とか……」

自分で言ってて、とかってなんだよと思った。

抱き着いたままなので表情はわからなかったけれど、頭上で深いため息の音がする。

「くっそ……告白くらいもっとかっこつけさせろよ……!つか、どんだけやきもきさせるつもりだ……っ!」

「え、してたの?やきもき」

「してたわ!なんだよチョコあげる予定あるって!誰にだよってどんだけ詰め寄ってやろうと思ったことか……!」

拘束をそれとなく解いて顔を見上げると、彼は目を反らし恥ずかしそうにしている。

見るな、と言われても、もう耳まで真っ赤な赤面を見ちゃった。

「ね……伏見、この後、予定、ある?」

「……ないけど」

怪訝な様子の彼にすり寄り……ベットを指さす。

「じゃあ、さ……続き、したいな」

精一杯のおねだり。伏見は嬉しそうに「了解」と答えた。

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