恋のはじまり

本当は甘えたかったの…素直になれない私…

ハタチから26歳まで、女として一番綺麗な時間を無駄に過ごしていた事に気付き、若干イライラしながら乱暴に自転車を降りた。

大した理由じゃない、6年付き合ってた男と別れた、ただそれだけのこと。

なんだかんだ、楽しかったこともないわけじゃなかった。

去年の今頃には二人で温泉にいったりしたなぁ、等と思いながら暖房のきいた部屋で制服に着替える。

26歳、派遣社員、彼氏ナシ独身

もうすぐクリスマスだってのに惨めにも程がある。

去年のクリスマスはフレンチレストランに予約して二人でディナーしたんだっけか…いや、そんな事を考えるのはやめよう。

下手にあいつと結婚して専業主婦なんてしてなくてよかったと思うのは、嫌なことも寂しさも仕事が紛らわせてくれることを十分知っているからだ。

できればちゃんとした会社で正社員になりたいけれども。

一度会社に出てしまえば余計なことを考えずに済むんだもの。

頭の切り替え一つで忘れられる程度の男と6年も付き合ってたなんて笑えるね。

自分でも言うのも何だけど、仕事は出来るほうだと思う。

大抵のことはそつなくこなせるしデータ入力等の作業にかかる時間もその辺の正社員より短いし研修にだって頻繁に参加している。

では今何をしているかと言うと、出社早々お茶くみだ。

「少々お待ちください」

「はい、ありがとう」

暖かい緑茶とお菓子を置いて、応接室を後にする。

豊田とよだ、というこの男性はここの所よく顔を見せる親会社の社員で年の頃は40だろうか、落ち着いているがうちの中年の男達と違って品の良さと清潔感がある。

素敵だな、と思っているのだけれど“好き避け”とでも言おうか、私は気になる相手に対して、ついそっけない態度を取ってしまう。

好意を素直に出せない、可愛げのない女だとは自覚しています。

だけどそういう性格なのだ。

(良い会社の正社員でそこそこの役職らしいし当然既婚者だろうなぁ…どうせ、私なんて)

そうは思いつつ、彼は私に好意を持っているような気がしている。

うぬぼれかもしれないけれど、今までに彼にお茶を出した数回の面識でいつも強い視線を感じていたから。

室内に入るとき、お茶を置いて、それから出るまで…単に派遣社員がちゃんと教育されているか確認するような厳しい目ではなかった。

勘違いに決まってるじゃない、若い愛人でも探しているならもっと可愛い子がいるでしょう、と自分の中の冷めた一面がそうささやく。

どうせ私は可愛くもなければもう若くもないわよ、余計なお世話。

と、1人毒づきながら、上司に頼まれた大した内容のない書類のコピー作業に勤しむのだった。

純子じゅんこさん」

「はい」

(なんだろう・・?)

すれ違いざま、頼まれたファイルを運ぶ私に打ち合わせが終わったのだろう彼が声を掛けてきた。

名前は首から下げることを義務付けられた社員証を見ればわかるとして、彼が私に声をかける理由なんてどこにもない。

緊張で強張った無表情と無愛想な声に、彼は少し困ったように笑った。

「良かったら今日の仕事の後、少し時間くれないかな」

「…どういったご用件でしょうか」

自分でも嫌気がさすつっけんどんな口調を彼は気に留めない様子で言葉を続けた。

「大した要件じゃないよ、ただ一緒に食事でもと思ってね」

普段なら40男のナンパなんてすぐに断るのだけれど、失恋のムシャクシャも相まってなんとなくうなずいてしまった。

その場でさっと名刺を渡され「終わったら電話して」と一言だけ小さく言うと彼はエントランスへ向かって歩いて行った。

(…なんで私に?)

嬉しさよりも不安と疑惑で胸が締め付けられた。

年下の女とちょっと酒でも、ついでにヤれればラッキー位に思っての行動ならかまわない。

私の下心に気付かれたのか、なんて考えたくもなかった。

その日の夕暮れ、仕事が終わって化粧を直し携帯を握りしめる。

手のひらに汗を書きながらなんとか電話をかけると、呼び出し音が鳴ってすぐに彼が出た。

『…お疲れ様です、豊田さんですか』

『あぁ、純子ちゃん、今終わったの?』

『はい』

『今どこにいるの?』

十数分後、会社まで迎えに来てくれた彼と、タクシーに乗って店へ向かう。

気楽な雰囲気ながら品の良い内装の個室のお店で和食が美味しいのだそうだ。

彼は楽しそうに説明してくれたが、私は相変わらずの仏頂面で頷くことしか出来なかった。

タクシーが止まったのは小さな木造平屋建て、といった外観の小さな居酒屋だった。

年月を感じさせる古い木の風貌は風情があって悪くない。

「結構、良い感じのお店ですね」

「お、わかってくれるかい?」

ガラ、と引き戸をあけると事前に話された通り、襖と障子で仕切られた小さな個室に通された。

パンプスを脱いで畳に上がる。

「えー…僕はとりあえずビールを頼もう、純子さんは?」

「…私も同じものを」

瓶のビールとともに出された付き出しは、小さな前菜の盛り合わせのようでヒラメの南蛮漬けや百合根ゆりねなど旬の食材が美しく盛られていた。

「この間まで銀杏イチョウの美味しいのがあったんだけどね、旬が過ぎちゃったかな。

だけどここのはどの料理も美味しいよ。特に魚がいいんだ」

「そうですか」

小さな和室にシンと静寂が走る。

今の言い方は失礼だったかと思い悔やむけれどどう取り繕えばいいのか…

「あの…豊田さん」

「はい」

「何故、私を誘ったんですか?」

彼は少し気まずそうにビールを飲んだ。

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