「だいたい理人の奴もよォ! 嫁を寝取られるなんてだらしねぇんだ、あいつはァ!」
戸越しにも耳に入った罵声。声の主は、祖父の兄妹の息子だったかしら?
「結婚何年目だったんだ? 子供もいつまでも作らないで何をしていたんだか」
「おい、誰かイイ娘知らねぇの? 理人もぼやぼやしていたら再婚できないぞ」
「それよりも未華子じゃない? 女の行き遅れは悲惨よぉ」
宴会場にいるデリカシーの欠片もない老人やら中年の輪には当然私の父もいる。
もしかしたら、理人君のご両親も。
けれど、この襖の向こうでは赤べこよろしく頷いているだけだろう。
………
………
「……もう帰りたいな」
「確かにな。でもさ、俺、あそこに携帯忘れちゃったんだよね」
なるほど。それは帰るに帰れないし、部屋に入るに入り辛いことだろう。
「あの、理人君さえよければ、奥の客間、行かない? 私、昨日からそこ使っているの」
「え、いいの?」
ぱっと顔を上げた理人君の表情が明るい。
まるで拾われた子犬が懐くように、柔らかい笑みを向けてくれたから。
あぁ、と思い知る。
こんなことで嬉しそうにしてくれるなら、なんだってしてあげたいと思っちゃうくらい。
私はまだ、理人君が好きなんだ。
………
………
………
台所でお酒をくすねた私達は乾杯を交わす。
寝泊まりに使っている客間は殺風景な和室。
「昔ここで未華子の宿題を手伝った気がする」という理人君に
「一緒にいたのに理人君は自分の宿題をやらなかったんだよ」と返した。
三二歳の理人君と二三歳の私。
思い出話に花を咲かせるほど年を重ねたつもりはないのに、私達の話は尽きなくて。
やがてそれが親戚連中の悪口に発展するまでに時間はかからなかった。
「ていうかさ、未華子は聞かないんだな。離婚の理由」
「……可哀そうな人だと思う。せっかく結婚できたのに、理人君と別れちゃうなんて、ありえないよ」
私が理人君の元奥さんを見たのは、一回だけ。
五年前、一八歳の夏。
理人君が結婚の挨拶にあの人を本家へ連れてきたのだ。
元奥さんは控えめな美人と親戚連中には評判で
――一方で、私はこれが私の一生敵わない人なんだな、とあまり直視できなかった。
それが、何故かあの時、父の
「こいつ、理人が結婚するからしょぼくれてやんの。めでたい席に不貞腐れたツラ見せるなよ。お前じゃどうせ結婚できなかったんだから」
お酒で赤ら顔の父は、それが暴言であることに気が付くはずがない。
気を利かせた叔母が何やら私を励まし、従姉が連れ立ってくれるまで私は亀のようにじっと膝の上の拳を見つめていた。
理人君が父のそれを耳にしていないことを祈る一方で、あの人は仄暗く、どこか勝ち誇ったような視線を寄こしたことは誰にも言わなかった。
「私、あの人好きじゃなかったし」
当然、良く知らない彼女への悪態はこれで留めるつもりだけれど。
「……未華子は昔から俺に甘いよね」
「そう、かな」
そうだよ、と続ける理人君は四つ目の缶ビールを開けてしまった。
「なんか、俺の欲しい言葉を読み取ってくれているみたいで、嬉しい反面恥ずかしいわ……でも、すげぇ癒される」
「理人君、ペース早くない……? いつもそんな風にお酒飲んじゃうの?」
「んー……一人になってからは量が増えてるかも」
「ダメだよ! 身体壊しちゃう!」
気にしてない、なんて言っていたけど、やっぱり理人君、離婚のことでダメージ受けているんだろうな……。
親戚連中も酷いことを言っていたし、もしかして疲れているのかも。