「痛い痛い痛い! なんだね、急に!」
「『なんだね』じゃねぇよ! あんたのスマホが当たって痛ぇんだよ!」
「そ、それはこの女性がいきなり腕を払ったから……」
「へぇ。なんで振り払われる位置の手にスマホが握られてんだ」
「え?」
その「え」は、私はもちろん、聞き耳をそばだてていた周囲の人からも、そして、スマホを握っていた男からも漏れた声で。
丁度そのタイミングで電車は停車する。
刹那、男は人込みを文字通り泳ぐようにその場から逃げて行った。
「おい、待てこらぁ!」
「え、あ、あぁっ! ちょっと!」
スマホ男が逃げたのを男性は追いかけようとしたのだろうけれど、何故か私の腕を掴んで降車してしまう。
人込みの中でスマホ男に追いつけず、私が混乱しているうちに電車は次の駅へ向かってしまった。
「……あ、電車……」
「……なんか悪い。盗撮男も逃がしちまったし……」
そのときになって、私の手首を掴んでいた彼は慌てて拘束を解いた。
「えっと、どうする? 駅員に言うか?」
彼、盗撮男を捕まえようとしてくれた青年は、正面から見るとびっくりするほど端正な顔立ちだった。
その反面、武骨そうな体格と雰囲気により強面にも見えて……
私の人生に関わりのなかったタイプの人種だ。
「……こういうときってどうするのが普通なんでしょうか」
――どうするって言われても。
正直な気持ちがまんま言葉になった。
「なぁ、普通怒るとかおびえるとかすると思うんだけど」
彼はだいぶ驚いた様子で、その顔面には『拍子抜け』とでかでか書かれている。
なんだかがっかりさせてしまったような気になった一方で、あわてて頭を下げた。
「あの、ありがとうございました! 助けて頂いて……」
「大丈夫だよな? 俺、ちゃんと助けたんだよな?」
「え? だって私痴漢されていたんですよね?」
質問の意図がわからず小首を傾げると、彼は噴き出したように笑った。
「いやぁ、お姉さんがあまりにあっけらかんとしているからさ。困ってなかったなら助けたことにならねぇし、なにより痴漢待ちだったら余計なことだったかもしれねぇし?」
「なっ……! そんなわけないじゃないですか!」
「だよな。そうじゃなきゃあんな抵抗しないだろうし。まぁ思い切り的は外していたけど」
「え?」
「お姉さんがスマホ握った手で一発入れた相手、俺だからね」
一間、何を言われているのかわからずフリーズして、次の瞬間には地につける勢いで頭を下げた。
「ごめんなさい! だからあんなに眉間にしわを寄せた怖い顔をしていたのね!」
「いいよ。事故なのはわかりきっているし」
「でも、痛かったんでしょう? ごめんなさい……ちなみに、私ったらどこを叩いてしまったの?」
その質問に彼は微妙な顔をする。
そしてぼそっと「……あんたについていない部分」と続けた。
「そ、それは、その……本当にごめんなさい……」
そうか、だからなんか固く感じたのか、と妙に納得した。
引っかかっていたことが明らかになると、この一見ヤンキーにも見える彼が少し身近な存在に感じてくる。
背が高くてごつくて強面だけれど、多分年下かな?
あんまり上手じゃない敬語も一生懸命使っている感じが可愛く思える。
「お姉さん、いつもあの電車乗ってんの?」
「えぇ。入社した時からずっとこの時間なの」
「へぇー……」
そうなんだ、と彼が
再びごったがえすプラットフォームの中で、私達はなんとか電車に乗ったが、それ以上の会話はできなかった。
(ちゃんとお礼したかったな……)