「絵梨…」
「大輝さん、キス…して」
何度唇を重ねても私には足りなかった。
濡れる音と肌の弾ける音が部屋中に響き渡る。
身体が隙間なく密着して私たちはひとつになっていることを改めて実感する。
「す…き…」
溶けあった私たちはどちらがそれを呟いたのか分からなかった。
しっかりと手を結び、それから同じタイミングで絶頂を迎えた。
頂点へと達した後も、彼はずっとそばにいて頬や髪を撫でてくれた。
それからしばらくすると2人は眠りに落ちた。
けれど隣にある温もりが恋しくなって、もう1度行為をした。
愛を確かめ合うように肌を重ねた。
行為を終えると、朝を迎えて彼が去ってしまうことが怖く感じた。
それでも今ここに彼がいることが幸福で、そのまま深く眠ってしまった。
カーテンの向こうに光を感じ、朝が来たことを知る。
ベッドには私だけで、少し先で彼は上着を羽織ろうとしていた。
彼の素肌を数時間しか知らないのに、きちんと衣服を身に着けた彼を見るのはしばらくぶりに思えた。
「おはよう」
「おはようございます」
バイトをしていた頃と同じ温度の、何を考えているのか分からない美しい表情の彼だった。
「起こしてごめん」
「いいえ、平気です…」
「そろそろ帰るよ」
「…はい」
味気ない会話に、私を愛してくれた彼は去ってしまったように感じた。
「お仕事、間に合いますか?」
「うん、間に合うよ」
「それじゃあ」
そう言いながら彼は玄関の方へ向かう。
彼の背中に追いついて今すぐにでも引き止めたい。
スニーカーを履き終えた彼は鍵に手を掛けた。
一夜の恋、こんなにも呆気ないものだと初めて知った。
下の名前で呼び合ったこともなかったことにするべきなのかもしれない。
「笹尾さん、ありがとうございました」
彼はゆっくりと振り向く。
肩に手が置かれ、右頬に唇の感触が伝わる。
頬から唇が離れても彼は私をじっと見つめていた。
瞳の深く奥に私が映っている。
「これからも、大輝さんって呼んでもいいですか」
「そのほうが嬉しいけど」
気付いたときにはもう唇は重なっていた。
彼としたキスの中でいちばん優しく、品のある、穏やかなものだった。
ずっとこのままでいたいと心から願った。
「順番、間違えてごめん」
「順番?」
「今度ちゃんと…言わせて」
「待ってます。大輝さん」
私たちは唇を触れ合わせたまま話した。
「もう行くよ」
「はい」
別れ際、微笑んだ彼の顔にもう1度恋に落ちそうになった。
私も笑って彼を送り出した。
人生で初めて、すべてが愛おしい人と両想いになれた。
元バイト先の上司である憧れの人が、再会をきっかけに大好きな人となった。
彼と過ごした数時間はまるで夢のようだった。
それから絶好調な気分で身支度をして、興奮が冷めたころに気が付いてしまった。
あまりにも致命的なミスだった。
彼と連絡先を交換していない・・・
「どうしよう…」
悔しくて息が止まりそうになった。
今から走ればもしかしたら追いつけるかもしれない。
机の上にあるスマホを手に取る。
それの横に見慣れない1枚のメモがあった。
私はまた息が止まりそうになる。
『絵梨へ』
私の名前と、彼の電話番号が書かれていた。
相変わらず荒っぽくて下手くそな文字だった。
彼らしい。私の好きな彼。
何度読んでもエッチな気分になれるお気に入りストーリーです。笹尾さんファン。今度ちゃんと言ってほしい!続きがあると嬉しいです。