恋のはじまり

意地悪な後輩たち…

「庶務課の鮎原さんって最近彼氏と別れたじゃん?あれって結局浮気が原因らしいよ」

いつも通りに出勤し、いつも通りお昼を食べ、いつも通り残業に励む私――鮎原あゆはらカエデは、その会話を女子トイレで聞いた。

話をしている人物はなんとなく特定できる。

別に仲が良くも悪くもない同僚だ。

私が個室にいるなんて思いもよらないのだろう。

よっぽど「ここにいるんですけど?」っと登場してやりたい気持ちを抑え、聞きたくもない話に頭を抱える。

「ぶっちゃけ鮎原さんってクールビューティー通り越して氷の女王って感じだよね」

「女王ってか騎士でしょ。鉄の鎧の」

「わかる!いい人だけど、あぁにはなりたくないよねぇ」

「なんでこう、仕事ができる女の人ってつんけんするんだろ。うちのお局とかやばくない?」

「いやあのオバさんは仕事もできないから」

ウケるーなんてはしゃいだ声。

あぁ、と思わず頭を抱えた。

「わかるぅー」って言いながらそこに正直参加したい。

そして「でも、その話の流れであなた達の課のお局様の名前出さないでくれる?同系列みたいじゃん」と釘を刺したい。

わかっている。

わかっているのだ。

アラサーの私は既に『お局様』にリーチがかかっているということを。

ぴかぴかの新卒の二人を前にしたら、私も立派なオバさんに違いないことも。

気配が消えたのを見計らって、ゴリゴリ削られたライフゲージのまま化粧台へ赴く。

ファンデーションの粉や髪の毛がいくつか散らばった洗面台を見ると「若い女性社員はこれだから」と呟きそうになり、さらにダメージを受ける。

――今のはやばい。マジでおばさんっぽい。

一方で、ほほえましいとも思うのだ。

今日の夜は社員総出の飲み会だ。

彼女達はそれに向かう前のお色直しをしていたのだろう。

飲み会のことは随分前からわかっていた。

けれど、私はいつもと同じスーツを着て、失礼にならない程度のメイクしかしていない。

仕事が忙しいから?

失恋で傷心中だから?

いや、時間があってもなくても、フラれる前でも付き合う前でも、多分私は変らない。

彼女達と同じように、可愛いと男達に褒められる服を、化粧を、飲み会の前に施そうとする発想も行動も浮かばなかったと思う。

多分私の思考回路は根本的に男目線で可愛くないのだ。

 

――「真面目でお堅い女ほど実はエロいっていうじゃん?でもさぁあいつ不感症だったんだよ」

耳の奥でねっとりとした、あの男の声……頭痛のように波打つそれを思い出せば、各々反応する卑下ひげな笑い声が蘇った。

「ひっでぇな。お前が下手なだけじゃね?」

「いやいやいやマジだって。今度貸してやろっか?」

こみ上げる吐き気を堪えながら、私はドアの隙間から元彼と笑う同僚たちの姿を見てしまった――。

「……だめだ、忘れろ。私」

下腹部をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような、ずっしりとした痛みと不快感を覚える。

生理前に似た憂鬱は確実にストレスのせいだ。

あんな男のせいで傷つく自分に腹が立つ。

確かに彼の愛撫では全然イケなかった。

見当違いなマッサージに似ていて、不愉快にぞわぞわした。

身体をまさぐられるのが嫌だったことすらある。

でも、イケない自分が申し訳ないと思っていたし、相手を下手だなんだとなじってなんていない。

そもそもセックス事情を他人に明かすのはタブーでしょうよ。

人としても最低レベルのマナーだと思っている。

「……あー……乾杯の音頭と同時に『あんたのセックスド下手くそ』って大声で叫んでやりたい……」

……あの男がいる飲み会になど絶対参加するものか。

そう胸に決めていたのに、若干パワハラの匂いがする体育会系の上司に「強制参加だからな!仕事は全員早目に切り上げろ。終わらなそうな奴は手伝ってやる!」とまで意気込まれてしまい、私の意思とはかけ離れたところで話は進んでしまっている。

事績に戻り、書類に向き合うも、Enter一つに三分くらいかけたい気分だった。

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