恋のはじまり

意地悪で不機嫌な裏海先輩

「彼は挨拶がわりに女性を口説くような人です。あまり本気にしないように」

 浦海うらうみ先輩からの注意は、社会人としてそこそこの荒波に揉まれた私に『スコーン!!』と小君いい音を立てて刺さる。

 ――「なんか雰囲気が変わったね? あぁ、シャンプーが違うのか。いい匂いがする。ごめんごめん、セクハラだったね。
きみの反応が可愛くて、つい。もちろん、今日の服もメイクも可愛いよ。こうして改めてお話しする機会なんてなかなかなかったから、うれしいな」

 私、さかき茅野かやのは、それはそれは平々凡々な人生を送ってきた。

 普通に高校を卒業し、短大に進学し、企業に就職……

こんな私に豊富な男性経験などあるわけもなく。

 女を沼らせることに定評のある、冬水ふゆみさんにさらりと歯の浮くようなセリフを言われた時には……ぶっちゃけ昇天しそうでしたよ、はい。

 言葉一つで理性が飛びそうになる(意識か?)なんてこと本当にあるんだなぁと、感心と動揺と有頂天うちょうてんを脳内でミキサーにかけながら

「あはっ! 冬水さんに褒められるの、すっごい嬉しいけれど、夜道に気をつけないとファンの皆さんから後ろから刺されそー!」

 ゼロコンマ5秒後に返答できる頭の回転の速さに感謝しかない。

 それでいて

(かわいい、かわいいかぁ)

 受け流すようなことを口にしても、ぶっちゃけ私は浮かれた。

(あの冬水さんから可愛いだって!)

 疲労でくたびれた様子すらセクシーに見える、多分24時間四六時中イケメンの冬水さん。

 高嶺の花すぎて彼とどうにかなりたいなんて考えたことはないけれど、そんな人から「可愛い」って褒められて、嬉しくないわけなくない?!

 照れまくった自分を取りつくろうとする私は、ここが会社の忘年会の会場で、プライベートに見せかけてもじつは仕事中で――冬水さんの言葉を噛み締めている表情を浦海先輩に見られていたなんて思いもよらなかったんだ。

 

 

  

 突然だが、我が社にはイケメン三銃士さんじゅうしがいる。

 物腰が柔らかく、人当たりと女の扱いに長けた営業部花形の冬水さん。

 異国の血を感じさせる顔立ちで、モデル体型の九条くじょう課長。

 そして……クールで真面目な私の元教育係、浦海先輩。

 三者三様さんしゃさんように美形な彼らは当然モテにモテまくる。

 一方で、浦海先輩はこの手の話題や露骨なアプローチに取り憑く島もない。

 切長の涼しい眼差まなざしはクールでかっこいいけれど、キツくにらまれた日には泣いてしまうくらい迫力がある。

 ――あ、やば……思い出しただけでも手が震える……。

 何を隠そう、私は浦海先輩に惹かれていた。

 厳しくも丁寧に仕事を教えてくれて、急なハプニングにも冷静にフォローしてくれる。

私が独り立ちするのに必要な全てを享受きょうじゅしてくれた彼に、憧れないなんて不可能だ。

 憧れが恋に変わったのは、多岐に渡る知識をさりげなく交えた会話や、堅物かたぶつに見せかけて案外丸いところがある一面。

美味しいものを食べるときにふっと緩む表情を知ってしまったから。

 仕事以外での関わりが欲しいと思った矢先、一方的なそれを気が付かれてしまったらしい。

 以降、浦海先輩は少しずつ辛辣しんらつになったように思う。

 ――でも、だからってさぁ……。

 お酒の席での「可愛い」なんてお世辞を真に受けるな、なんて釘を刺しにこないでも、と思ってしまう。

「あはは……わかっていますよぉ……」

 私と浦海先輩は忘年会の会場……ホテルの宴会場から少し離れた廊下で向かい合っている。

 なんでこんな微妙な場所かと言うと、私はお手洗いの帰りで、化粧直しを済ませたところ。

浦海先輩は私が1人になる瞬間を見計らっていたのかもしれない。

「そもそも、飲み過ぎですよ。あなたそんなにアルコールに強く無いでしょう」

「いやぁ……お酌していたつもりが逆に呑まされてしまいまして……」

「暑気払いの際、酔い潰れたのはどこの誰ですか」

「私です……あの時は多大なご迷惑をお掛けしました……」

 そう、私には酒の席での前科があって、しかも浦海先輩が自宅まで送り届けてくれたのだ。

 聞くところに寄ると、周りがハラハラするくらいの絡み酒を披露したらしく……

後日、切腹する覚悟で謝罪した事は記憶に新しい。

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