恋のはじまり

意地悪で不機嫌な裏海先輩

(あ、思い出すだけでも死にたくなる)

 最悪なのが、記憶が一切抜け落ちている事だ。

 それを正直に伝えた瞬間の浦海先輩の表情と来たら……二度と思い出したく無い。
 
「あなたは知らないでしょうけれど、冬水さんはかなり悪ふざけする人ですからね。易々やすやすと口車に乗ると痛い目を見ますよ」

「……お二人、仲が悪かったりします?」

「いえ別に」

(いや、だったらなんなんですか、その眉間のしわ……。名刺挟めそうなくらい深いじゃないですか)

 余計なことは言うまいと必死で飲み込み……ヘラりと得意の愛想笑いを浮かべる。

逆効果っぽい反応だけど。

「と、とりあえず! 私は会場に戻りますね! 今日は浦海先輩には絶対迷惑をかけませんから!」

 ――よし! 今日はもう、この後絶対浦海先輩に近付かない!

 お世辞に浮かれた代償は、チクチクと痛む傷に変わった。

 

 会場に戻ると冬水さんの周りには人だかりができていて(主に女子)私の席は埋められていた。

 なんとかバックを救出し、空いているテーブルへ。新しくグレフルサワーをオーダーする。

「お疲れ榊。イケメン冬水さんといい感じだったじゃん」

「やめてよ新村……そっちもお疲れ」

 輪から外れた私を気遣ってくれる同期の新村にいむらと乾杯した。

 新村は異性だけど、あけすけな会話をしても大丈夫な貴重な友人だ。

 (よし、ここはストレス発散に付き合わせよう)

「新村って今彼女いたっけ?」

「いないけど、なんで?」

「……変なこと言うんだけどさ、今、無性にヨシヨシって可愛がられながらめちゃくちゃ甘えたくて」

「榊さぁ、今のテンションで絶対ホストとか行くなよ? 沼るから」

「じゃあ……裏セラピストとか、いっそママ活……?」

「金で解決する気満々でウケる……って、え、何これアプリ? うっわ! この写真見ろよ! イケメンすぎて嘘くせぇー!」

 会場の端であることをいいことに、新村と私はあーでもないこうでもないと、私の登録したマッチングアプリを眺める。

「てか、榊さ、ヤリたいなら裏アカでもつくれば?」

「その手もあるねぇ」

「そこは拒否しろって! それはアウトだから! 今日はマジでどうしたよ」

 可愛いって言われたいだけだよ。

 それを口に出せない代わりに、お代わりしたサワーのジョッキを空にした。

 ――数十分後。

 忘年会は無事お開きとなり、二次会に流れる者と帰宅組とに別れる。

 かく言う私は、新村の誘いを断り、夜の繁華街をフラフラしている。

別に、アプリ等で相手を見つけたわけじゃない。

 酔っ払いと客引きを交わしながら、キラキラとネオンの光を浴びて……

今ゆっくり歩けば、ホストの営業で「君可愛いね」くらい言ってもらえないかなぁ。

「……あーぁ、この際、誰でもいいや」

 濁流みたいに、腐るほどすれ違う人間の誰かが、金魚をすくい上げるみたいに、選んでくれたらいいのに。

 いっときだけ愛でて、排水溝に流されたって構わないから。

 悲しすぎる妄想にため息をついた時だ。

「――ふざけるなよ」

 地獄の底から響いたような、低い声が頭上から聞こえた。

 そして

 ぱしん、と。

 私の右手首が捕まった。

「……ぁ……っ?」

 人間。本気で驚くと、声が出ないとは本当のことだったらしい。

 掬い上げる、なんて可愛い動作じゃない。

 ひとつきで仕留めるように、拘束された。

 恐る恐る視線を上げれば――人1人簡単に殺せるくらい鋭い眼光でこちらを射抜く浦海先輩。

(え、何これ。私、命日?)

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