「飲みに行ける状況じゃなかった、ってのが正解ですかねぇ。夫がいい顔しないんで」
「へー人妻なんだ。見えないねー。てか、なにで来たの。まさか車?」
お酒を提供するお店では当たり前の質問。
けど、今一番の地雷だった。
一気に現実に戻された気がして、口の中で苦いものが広がる。
「……車です。代行呼んで、どこかのホテル取りますよ」
自暴自棄に見えて、一応考えた結果である。
仮に帰宅したところで、言い合いになることはないけれど、きっと一週間は夫からの無視が続く。
不機嫌になるといつもそうだ。
ふてくされた態度を前面に出し、私の存在をないものとするのだ。
「ふーん……じゃあホテルとの間に二軒目はありえたりする?」
「え?」
袖から除く手首は太く、骨太な人だった。
「俺、今日もう上がりなんだよね。この近くの飲み屋でいいところ知っているよ?」
「ざ、斬新なナンパですね?」
行き着く先が家でないことを知られている以上、警戒心が働く。
付きまとってくるような人には見えないし、面白半分なのだろうけれど……。
(余計なこと、言うんじゃなかった……)
そういう期待をさせてしまったのは私に隙があったから……と、後悔しそうになった、はずなのに。
――じゃあ私、この後のこととか何も知られなかったら、この人と一緒に飲みに行ったのかな。
ふと、自分の中で何かがよぎる。
(私は今、何をして欲しいんだ?)
話を聞いてほしい。私を傷付けないで欲しい。
寂しい。傍にいてほしい――その要求は、家に帰ったら絶対に叶えられない。
覚悟が決まるまでに多分時間はかかっていない。
「私の話、聞いてくれるなら――ご一緒してください」
飲み干したハイボールは、やけに美味しかった。
男の人は城田さんと名乗った。
「あー……そういうのなんて言うんだっけ? モラハラ?」
城田さんおすすめの焼き鳥屋で、私は今日までのいきさつをざっくりと話す。
「そう、なんですかねぇ……なんかどのくらいのことを言われたら反論していいのかわからなくて……」
枝豆をつまみながらため息をつく私を城田さんは「反論ねぇ」と頬杖をつく。
「したいときにすりゃいいじゃん」
「……何度かしましたが効果はこの通りです」
「だろうねぇ。生活する上で家事が必要ないなんてことありえないのにねぇ」
夫の言い分は家事は好きでやっていることで、私がやって当たり前で、でもフルタイムで働けという。
改めて言葉にすると口に入る全てのものが不味く感じる。
「家事のことを考慮した時間で働くのは許してくれないわけ?」
「はい。引っ越したてのときに見つけた仕事が契約社員で、ボーナスはないけど拘束時間が割と短かったんですよ。でも思いっきり文句言ってましたね。共働きだったときに家事の負担が私に一任されていたから家事と仕事が両立できる仕事にしたいって言ったら、それは私の甘えなんだそうですよ」
「……真理ちゃん一か月くらい家出したら?」
「したいですよー。もう地元戻って前の職場に戻りたーい……。でも、奴はぜーったい反省しないですから」
「確かにそんなもんかもね」
「……あの人、私に嫌われるの、怖くないんでしょうね」
「真理ちゃんは怖い?」
「そりゃ……怖いです」
「多分だけれどさ。真理ちゃんの夫は、怖いとか怖くないじゃなくて、想像がつかないんだろうね。君から嫌われたらどうなるか、とか。君の嫌がることを口にしたら、君が自分をどう思うか、とか」
「そんなの小学生でもわかりませんか?」
「そういう不都合なことに蓋をするのが得意な人種はどこにでもいるもんよ」
そうなんだ、と納得したと同時に、つまりは想像力が著しく乏しい人種からの垂れ流した言葉に傷ついたという事実がバカバカしく感じた。