耐え難い漫然とした日々
私の名前は川上ルミナ。
年齢は39歳で来年いよいよ40歳の大台を迎えるアラフォー主婦。
大学を卒業してすぐの23歳に結婚をして、今年でもう16年目になった。
結婚後、1年してから生まれた一人息子は、15歳の高校1年にまで成長し、慌ただしかった長い子育ても、ようやく一段落した感じだ。
旦那は中学校の教師で収入はそれほど多くないけど、個人的にはあまり不満はない。
時々だが、贅沢もさせてもらえるし、好きなブランド品を誕生日プレゼントでくれたり、毎年国内だけど、必ずどこかに旅行にも連れて行ってくれる。
当然、貯金はあまりないが、普通に何とか暮らしてはいけている。
所謂、平凡な主婦といったところだろうか。
だけど、何か物足りなさを感じていたのです。
ご近所さんの主婦仲間からは、優しい旦那さんで羨ましいとは言われているが、正直、どういうわけか何か物足りなく感じている。
結婚後、旦那の良き妻でいて、子供の良き母として子育てに励み、ここまでの16年間、当たり前のように主婦を演じてきた。
新婚当初は、旦那は“ルミナ”とちゃんと名前で呼んでくれていたのに、気付けば“おい!”なんて愛情の感じない言い方で呼ばれるようになっていた。
子供を産んで母親になってからは、いつしか旦那からは女として見られなくなり、そうなると夜の営みも徐々に無くなっていき、セックスレスに。
もう何年も旦那とはセックスレスなのです。
こんなことなら、もっと若い頃に恋愛を経験しておくべきだったなぁ・・・。
今思えば、10代の青春時代には、一度も恋愛経験なんてなかった。
私の両親は、父親も母親も高校の音楽の教師で、同じ学校で出会った職場結婚らしい。
そんな両親の影響もあり、幼少期の5歳からピアノの習い事に行き始めた。
きっと両親は私にピアニストになってほしかったのでしょう。
そのためか、ピアノの先生はとてもスパルタで厳しい指導だったのです。
あまりの厳しさに私は毎回泣いてばかりだったのを今でも鮮明に覚えています。
ピアニストを目指すなら、厳しい練習は仕方のないことだと半ば諦めてはいましたが、私が嫌だったのは、友達と遊ぶ時間がほとんどなかったことです。
1週間のうち5日はスパルタ先生とのピアノレッスン、そして、土日の休みは両親と
練習する日々。
日曜日だけは午前中の練習だけで終わり、午後からは月曜の学校が終わるまで、ようやくピアノの練習から解放されるのである。
ところが、学校とほぼ毎日欠かさず続く厳しい練習せいで、精神的にも肉体的にもクタクタの状態になっているので、遊ぼうなんて気が起きない。
疲れから何もしたくないので、解放されているその貴重な時間は、ほぼ体を休める時間に費やしてしまうのです。
また、周りの友達はみんな塾に行っていたけど、私の場合は塾に行っている時間がもったいないという理由で、家庭教師に来てもらっていました。
学校以外はほぼ家に缶詰状態になって練習に打ち込んでいたのです。
自分にとって学校にいる時間だけがとても楽しかったと言えます。
休み時間は唯一友達とお話ができ、給食は一緒にワイワイ楽しく食事が食べれる時間でした。
そして、こんなピアノの練習漬けの毎日を続けているせいもあり、最初は友達から遊びに誘われていましたが、次第に誘われなくなっていきました。
高校では放課後に同じクラスの男女で、カラオケに遊びに行ったりしていたようですが、当然、私は誘われても練習があるので一緒に遊びに行けません。
みんながワイワイ楽しそうにカラオケに行く後ろ姿を見ては、いつも羨ましい気持ちでいっぱいになっていたものだ。
その結果、学校では完全に1人浮いた存在になってしまい、男子との触れ合いも高校生までほぼゼロで、恋愛とは無縁の青春時代になってしまいました。
こんな寂しい青春時代を送っていた私でも、大学生になるとようやく希望の光が差し込んできたのです。
ピアニストを目指して音大に進むと、同じ目標に向けて頑張っている仲間同士ということもあり、意気投合して初めての彼氏ができました。
残念ながら、その彼とは1年ほどで破局しました。
この破局から2年後の22歳の時に出会ったのが、今の旦那というわけです。
自分でこんなことを言うのもうぬぼれ女と思われそうな気がしてあれだけど、私自身見た目は結構イケてる方だと思っている。
どこにでもいるような平凡な主婦ではあるが、それでも見た目には自信があり、今でも多くの人に、
「奥さんって、若々しくて美人ですね」
と言われて、たまに街でナンパされることもあるくらいだからです。
やっぱりこのまま漫然とした日々を過ごしてくのにはどうしても耐えられない。