恋のはじまり

ツンが激しい七瀬君

 「あんた社会人何年目? 腹が立つのはわかるけれど、職務放棄は話が別だろ」

 そもそも辞するも何も、自席でのやり取りだったので、着の身着のまま帰宅することは叶わず。

 とりあえず別の仕事を、と思って倉庫に駆け込んだところ追いかけてきたのは開発部の七瀬君だった。

「……七瀬君に関係なくないです?」

 今一番会いたくないランキング堂々二位(一位は当然、さっきのアイツ)の七瀬幸人ななせゆきと君は私を不愉快なものを見るかのように冷たい視線をよこす。

 

 眉目秀麗びもくしゅうれいを体現したような、顔立ち、スタイル、学歴ともにハイスペックの我らが同期の星。

 一見、スマートすぎる物腰から冷たい雰囲気を感じられるが、話してみると割と不躾ながら世話焼きで面倒見が良く、責任感も強い人物だった。

健啖家けんたんかで酒飲みでもあるから各所いろんな場面で可愛がられてもいる。

 私も入社した当初は割と関わることが多くて、複数名を交えた場でなら何度か食事にも行った。

 花形の部署で活躍しながら、先輩達に臆することもなくズバズバとモノを言う彼はまさに私とは対極の立場。

その姿勢を羨ましいと尊敬を込めて眺めていたら、いつの間にか『憧れ』に変わり、厄介なことに『思慕しぼ』になった。

 そして同時期に、彼の方は私への態度がそっけないこと……

同期や他の女性社員への対応が、私には苦いものが混じるような表情でされていることに気がついた。

 恋に気がつくと同時に脈がないことを理解するなんて、いっそ笑うしかない。

(考えてみれば、いつも私から話しかけていたんだっけ)

 愚鈍で抜けている私は、単純な好奇心で距離を詰めようと、見かけたら挨拶し、話しかけ、お土産のお菓子なんか渡したりしていた。

 興味のない相手からの好意は、さぞかし居心地が悪く、気持ち悪かったことだろう。

 証拠に、ふと気がつくと七瀬君は眉間に皺を寄せて私を睨んでいることが多々続いていた。

 心の中で「ごめん」と謝罪し、物理的な距離を意識すれば、彼と会話する機会は極端に減った。

同期にも「七瀬君とは合わないみたいで……」と相談したところ(随分と苦面されたが)飲み会での席も露骨に離れられるようにもなった。

 開発部と庶務課なら仕事上で関わる事だって殆どない。

後はくすぶる恋情の成れの果てをうまい具合に処理できれば……と思っていたのに。

(経理の仕事と開発部は割と関わりがあるんだよね……)

 今更になって、仕事で七瀬君との接点が増えてしまった。

それこそ三日に一片はやりとりが発生する。

 淡々と業務における経費の申請やら出張の交通費やら、資料作成やらをさばいていく一方で、

何か物を言いたそうに、苦虫を噛み潰した表情で見下ろされるのが辛すぎて、七瀬君の経費計算だけ倍速でできるようになった。

 

 つまりは、私達は不仲なのだ。

 あの場から逃げてきた私を七瀬君が慰めるために追いかけて来た、なんてことはありえない。

(でも、そこまで睨まなくてもいいんじゃないですかね……)

 手持ち無沙汰では居心地悪く、コピー機の紙を補充してみたり、トナーを交換しようとしたが、こういうときに限って不要だったようだ。

うん、完璧にサボっている状態になっちゃったよ、私。

 七瀬君はイライラしているのか、腕を組み、指をトントンと鳴らす。

「関係ある。至急確認してほしい書類がある」

「申請書関係ならここでも可能です」

「……社内チャットで送ったんだよ」

「プリントアウトして持ってきて」

「なんで俺がそんなこと」

「じゃあ、他の人捕まえてよ。なにも私にしかできないことじゃないでしょ。七瀬君が相手なら優先してやってくれるって」
………

………
 事務作業を担うスタッフたちは若い女性が多い。

普段は仕事に消極的でも、七瀬君の書類となれば彼女達は奪い合うようにして並々ならぬ気合いで挑むのだ。

(そんなの知っているだろうに、なんで七瀬君は私に頼むんだろ)

 意味がわからなくて声が少し尖ってしまった。

すると、ギロリと凄まれる。

美人の怒った顔は怖いというが、至近距離のイケメンが怒った顔はもっと怖い。

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