恋のはじまり

わからせっくすは漫画だけの話だと思ってた

一方で

「榊ァ、かくまってくれや」

文芸部の部室をこっそり占拠していた私の元に現れては、平然とくつろいでいた。

(いいですよ、なんて一度も言ってないのに)

六畳半程度の、本棚と教材に埋め尽くされた部室には四脚の机と椅子しかない。

幽霊部員が何人いるのかもわからない文芸部は、私の憩いの場だったのに。

九條先輩の存在は不穏分子に間違いなくて……

それでも、目の保養にしかならないこの先輩をかわすことなんてできなかった。

第一、先輩は思わせぶりだった。

先輩は私が部室に籠る日に、ふらりと現れて斜向かいの席に座る。

当時の私といえば、脚本の執筆しっぴつに燃えていた。

文芸部より支給されているタブレットでひたすら書いては消してを繰り返していて……。

 

「今回のは展開がイマイチだな〜。説明口調のセリフが多すぎ」

「話の主軸がズレすぎ、普通につまんねぇ」

「場展多くね?カメラワークがおいつかねぇだろ。何向けだよコレ」

頼んでもいないのに、勝手に評論を始める先輩。

最初は、知り合いに書いているものを読まれるなんて嫌だった。

作品の一本も書かないくせに、的を得ているツッコミは悔しくてたまらないが……バカにすることだけはしない。

いつのまにか、私の目標は、「先輩に面白い」と言ってもらえる作品を書くことになっていた。

あぶるように強く、どろりとしたオレンジ色の西陽。

部室も、先輩の横顔も、べたべたと濃厚で甘酸っぱい色が染め上げて……

私は、誰のものにもならない先輩が、好きだったのに。

………

………

………

私は、あの異世界を思わすほどギラつく夕陽の中で。

先輩と共にする時間が、先輩にとっても特別なものだと思い込んでいた。

現実は、私に特別な言葉もくれないまま卒業して……

そう言えば、連絡先の一つも知らなかったなって­――この有様で、どうにかなるわけがなかったんだ。

 

居酒屋を出た第一歩。

墨汁を溶かしたような夜空は重たくて、居酒屋やコンビニの照明が目に痛いほどまぶしい。

家に着いたらお風呂で映画でも見ようかな。

こういう時は……正義も倫理もないような、バイオレンスでめちゃくちゃなやつがいい。

邦画サークルに入っているけど、派手でぶっ飛んでる映画なら、最近は台湾が強いんだよね。

鬱々うつうつとした気分を晴らそうと、頭を巡らしていた時だ。

「榊ァ、ちょっと協力しろや」

ぬっと

居酒屋の扉が開いて、その人物は現れる。

首元に顔が来て、そのまま肩を抱き寄せられて……

「はい、そのまま進んで〜。早歩きな。ほら、早く早く……って、足遅ぇよ! もういい走れ、オラ」

背中に広がる大きな手の熱……ぐっぐと押してくる強さはだいぶ強引だった。

いつのまにかそれが手首になって、もつれるほどせかされて、さすがに「なんなんですか!」と叫んだが……

彼を追いかける後ろの声もまた、きゃんきゃんと騒がしい。

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