気がつくと、私は乱れた着物をきちんと身につけて篭を持った状態で外に立っていました。
慌てて周りを見回しましたが、例の洞は見つかりません。
雨は止んでいました。
山を下りて家に戻った私の所に、義母が駆けよって来ました。
「心配してたのよ!濡れなかった?」
「はい。洞があって、そこにいましたので」
「良かった。でも、寒かったでしょう?お風呂を沸かしてあげるからね。早く家に入んなさい」
義母はそう言うと、そそくさと家の中に帰って行きました。
義母は義母で良い人なのです。
その夜も夫は私を抱きましたが、私はいつものように唇を噛んだり歯を食いしばったりはせずに、ただぼんやりしていました。
その私を夫は不思議そうに見ていたのは分かりましたが、彼は何も言いませんでした。
翌日、私は山菜採りを口実にまたあの山へ行きました。
洞はなぜか簡単に見つかりました。
しかし中に入って私が見た物は、黒く汚れた幾枚かの用紙と数本の鉛筆だけでした。
汚れてはいたものの、絵はかろうじて確認できました。
あの青年が見せてくれた絵でした。
後に私が知ったのは、絵描きが趣味だった青年があの山に行った際に事故に遭い亡くなったということでした。
彼の遺体は見つかりましたが、彼が描いた絵と鉛筆は見つからなかったそうです。
私は怖いと言うよりも、彼にもう会えなくて辛いという感情が大きかったです。
青年と会ってからしばらくして、私は男の子と女の子の双子を産みました。
どちらも彼に似ていた。
産後から私の体は不調となり、命の終わりが近づいていると感じています。
でもそれは、私がもう1度あの人と会える可能性があるということ。
もう1度会いたい。
もう1度、あの人に抱きしめてほしいのです。
———–
八重子さんはそう記して終わりにしていた。
義理のひいおばあちゃんがつけ加えたらしい内容には、義妹の寛子さんは八重子さんが亡くなった後に結核にかかって早逝。
八重子さんの夫は、義理のひいおばあちゃんと結婚して1ヶ月も経たないうちに召集令状が来て出征したまま帰って来なかった。
ひいおばあちゃんは義父母の死後、血の繋がらない子供達を連れて別の人と再婚したとのこと。
その子供達が本当に死者の子供であったのなら、私はどんな存在なのかと悩む。
ただ同じ女として、八重子さんの気持ちは痛いほどに理解できた。
私は結局ノート2冊を知り合いがいる神社へ持って行き、簡単に事情を説明して焼いてもらった。
私が知った話を誰かにするつもりはない。