「私……イッたことないんだよねえ……」
ぼやくように呟いた
アハッと軽快な笑い声とともに、口にしていたコーヒーの表面が揺れる。
ノリコはミノリをまじまじと見つめ、また楽しそうに笑った。
「彼氏できたっていうからどうしたのかと思えば……彼氏がセックス下手って話?」
「いやそういうつもりじゃ……ていうかまだしてないし!」
休日の夕方、ノリコの行きつけのカフェは、個室のようになっていて周りに声が聞こえない。
それでも少し恥ずかしくて、ミノリはしーっ、と声を潜めた。
「この年でイッたことないって、流石にちょっと……やばいのかな、って……」
ミノリとノリコは大学からの友人同士だ。出会ってからもう10年を越えている。
今年32歳になるミノリにとって、これは深刻な悩みだった。
イッたことがない――詳細に言えば、セックスでイッたことがない。
自分で触ればちゃんと感じるのだが、セックスでそうなったことがないのだ。
「前の彼氏はどうだったの?」
「うーん、イッたふり、とかしてた……」
「バレなかったの?」
「なんか謎に自信があった人だったからさ……全然バレなかったっていうか……なんならちょっとドヤ顔、みたいな」
「それウケるんだけど!不感症的な感じ?」
「そういうわけでは……多分ないと思うんだけどさ……」
ミノリ自身疑ったこともあったのだが、自分で触れば感じるというのであればその線は薄いだろう。
「じゃあ相手が下手だったんでしょ!」
「だよ……ねえ……」
経験人数は二人、多くは無いが、別にそこは気にしていない。
ただ、自分もセックスを楽しんでみたいと思うのだ。
ちゃんと気持ちよくなって、セックスが面倒くさい時間ではなく、好きな時間になってほしい――そう思うのだが……
「今の彼氏、どんな人なんだっけ?」
「うーん、優しいよ?優しいけど……」
多分、経験とかはあんまり多くない感じ……
口にしなくても雰囲気で伝わったのか、ノリコは苦笑した。
「まあ……セックスが全てではない、とは思うよ」
「それはそうなんだけどさあ……気持ちいいセックス、してみたいなあ……」
ノリコはそれに対しては笑うだけで特に解決策は示してくれず――
ミノリも求めてはいなかったが――その代わり、その日のカフェ代をおごってくれた。