「もしもし、
目を擦り擦りボンヤリとスマホから聞こえて来る、
あの優しくて、しかし何だか淋しい感じのする声を聞きながら、
龍太は立ち上がって電気を付けた。
暗闇からいきなり明るくなって、彼の目は細くキュッとなった。
目をギュッと瞑り、何回か瞬きをしてこの光の棘の刺激に慣らしてから、
机の上に掛かっている時計を見上げた。
もう深夜だった。
………
………
「…もしもし?聞こえてる?」
「ええ、聞こえてますよ」
「それでね、今夫が部屋で寝てるんだけどさ、いつものホテルで会えないかなって思ってさ。お金も出すから」
「でも、今ですか」
「うん、今。今会いたいの。龍太君ともう一ヶ月も会ってないからさ、淋しくて、ね?」
龍太は了解して、早速部屋着を脱いで着替えて準備すると
コッソリと家族の寝静まった家を出た。
美波と龍太のこの秘かな関係の始まったのは、
美波の仕事先に龍太がアルバイトとして入って来た、その時だった。
彼はまだ高校生になったばかりの、それでいて妙に大人びたところがあって
それは彼のその凛々しい顔と高い身長がより周りの者をそう思わせた。
美波はというと、その年はちょうど結婚五年目で、子供はいなかった。
彼女の夫は、大学時代の彼氏らしく、
大学を卒業してから二年後に二人は結婚したのだった。
美波とその夫の結婚は当時多くの人に祝われた。
二人の結婚は、幸福に満ち溢れた美しいものとして
二人の知人友人そして家族は心底から喜び、
そんな二人の結婚生活は三年目の辺りで段々と怪しい雲の影が所々に見られた。
それは外の人には決してわからなかったし、
二人共それを外の人に思わせるようなことは絶対にしなかった。
只家の中での二人を一度でも見たら、誰もが、
「ああこの二人の心は既に冷め切ってしまっているなぁ」
と胸の内に悟ったでしょう。
とは言え実際のところは、それ程に二人の互いに対する愛がなかった訳ではなくて
それはむしろ
美波も、その夫も、矢張り互いを愛していましたが
それなのに何となく二人の間には妙な隔たりが出来てしまって
気付くとその隔たりは大きく歪んでいたのでした。