「だめだ。なんっにも浮かばん」
正しいアシスタントなら師である漫画家様の
「浮かばない?いつものことじゃないですか。ネームが作れないならネタ帳でもなんでも広げてひねり出してください」
私、花子はしれっと冷たく返した。
そこそこ人気漫画家、綾部先生のアシスタント歴一年で学んだこと。
それは『甘やかすな、褒めすぎるな、構いすぎるな』だ。
これくらい毅然としないと、駄々をこねる小学生のようになる。
取り付く島もないくらいが丁度よいのだ。
「ねぇねぇ花ちゃん。なんにも思いつかないから気分転換に散歩でもしない?」
「ダメです。身支度に時間がかかるので」
「えー、いいじゃん。コンビニ行きたい」
「……まさか、その浮浪者一歩手前の無精ひげと毛玉だらけのスウェット姿で外に出る気じゃないでしょうね」
「浮浪者は言い過ぎじゃない?ちゃんとお風呂くらい入ってるよ!」
「当たり前のことでいばらないでください!今どき誰がどこで情報を流出させるかわからないんですよ?『人気急上昇中の少女漫画家、実はホームレス寸前?』なんてSNSに投稿されたら読者が泣きます。夢も希望もぶち壊しです」
「わぁお。辛辣すぎて僕が今泣きそう!」
自堕落を具現化したような身なりに相反して、彼の描く作品は柔らかな絵のタッチと繊細な心理描写に定評がある。
人気も急上昇でこの度実写映画化も決まった。
ファンは圧倒的に女性が多く、少女漫画も同時に手掛けているため、普段の綾部先生の姿は絶対に見せられない。(ちなみに、シャワーを浴びて髪も髭も整えればかなり整った容姿だったりする)
注目度がアップしている今、一番気を使うべき時期……な、はずなのに、本人は
「実写化しても漫画が売れなきゃ意味ねーのよねぇ」
なんて呑気にあくびをしており、あまり興味がないらしい。
そのため「実写化する連載漫画の読み切りをネット配信するから、30ページ程のものを1本仕上げてね」という担当さんからの指示も渋々引き受けたといった様子だ。
「あ……忙しいのしんどい。花ちゃんが甘やかしてくれないのが悲しい」
「……先生。今日明日で、ある程度進めておかないと、またアシさん達にキレられますよ」
「えぇー……だって連載作品の読み切りってマジで難しいんよ?適当なこと書いて後のストーリーに矛盾が発生したらめっちゃネットで叩かれるじゃん。でも本誌で使うネタを違う媒体で公開したら話がうまく繋がんなくなるし」
「あ、意外と真面目に悩んでいたんですね。いつもの『仕事したくない病』かと思ってました」
「君はいつでも露骨に失礼だよねぇ、山田花子ちゃん」
「何度も言ってますけど、フルネームマジで嫌いなんでやめてください」
訂正を求めると、先生は「かわいいじゃない」とにやにやしている。
アホな柴犬みたいな毒気のなさを見ていると、イラっとしたことすらバカバカしくなるからずるい。
そもそも、この男は出会った時から大変ふざけた男であった。
二年前、綾部先生は私の隣の部屋へ引っ越してきた。
「自宅兼職場って感じで使うんで、いろんな人が出入りするし、深夜までずっと起きているから騒音とかあるかもしれないけれど、まぁそこはある程度多めに見てくれると助かります」
挨拶に訪れた彼は、今の姿からは連想できないさわやかな風貌の青年だった。
……言っていることは「なんだこいつ」って感じだったけれど。
「お名前聞いていいですか?え?山田花子?そんなぁ、名前を知られたくないにしても、今どきもうちょっとリアルな偽名使うでしょ……って、あれ。本名?」
私が生まれてこの方、耳にタコもイカもウニもできるほど繰り返したやり取りの後、「むかつく隣人には関わらない」と胸に誓ったのだ。
「……誓ったはず、なんだけれどなぁ」
私はこっそり溜息をこぼす。
綾部先生本人の印象は最悪に近かったのだが、私は彼の作品のファンだった。
そして、無駄に愛想だけは良い彼と挨拶程度の会話をする度に、デリカシーにかける彼の性格が、単純に鈍感で大らかなだけということがわかってきた。
――あれ?そんなに嫌な奴でもないぞ?
と、感じ始めていた頃だ。
彼の部屋から、ある日女性の悲鳴が上がった。
何事かと廊下に出てみれば、女性達が顔を真っ赤に染めて綾部先生をなじっていた。
聞けば、彼女たちは全員アシスタントとして働いており、洗っていない彼の下着が彼女たちの作業スペースに放置されていただの、ごみ袋からGから始まるあいつが顔を覗かせただの、エロ本が片付けられていないだの……ようは、掃除と片付けをちゃんとしてくれ!と、いうことであった。
隣人に害虫を飼育されてはこちらとしても困る。
見かねて掃除に協力したところ、アシスタントのみんなと仲良くなってしまった。
以降、私は副業として漫画家、綾部先生のアシスタント兼マネージャー兼家政婦という形で彼の部屋を出入りすることになったのだった。