マニアック

本屋のトイレで。

山下やましたまつりは、その日イライラしていた。

卒業のかかった卒論が順調に進まなくて、その上バイトで理不尽に怒鳴られた。

友達はいい就職先が決まって楽しそうなのに、自分は満足のいくような会社の内定もとれていない――

そんな、何もかもうまくいかないように感じてしまう現実にイライラして、

特に買いたいものは無いのにも関わらず、なんとなく本屋に足を運んだ。

「いらっしゃいませー」

店員のやる気のなさそうな声が、余計にイラっとしてしまう。

どうにかこのイライラを晴らしたくて、まつりは仕方がなかった。

だから、つい、いつもなら考えもしないようなことをしてしまったのだ。

このあたりでは比較的大きな本屋で、3階建て。

客もまあまあいて、欲しいものがあればここで探せばほとんど見つかるような規模だ。

そんな大きさの本屋では、店員の目に届かないような場所はたくさん存在する。

奥まったコーナーに入ってしまえば、店員の姿はどこにもなかった。

別にほしいものがあったわけではない。

ただ、むしゃくしゃしていたのだ。

まつりは、周りを見渡した。

店員どころか、客の姿もない――

今だ、と手にした文庫本を、肩からかかっていたトートバッグに滑り込ませた。

すとん、とそのカバンの中に、文庫本が消えてしまう。

気が抜けてしまう程にその行為は簡単で、自分が思ったよりも気が晴れることはなかった。

こんな気持ちになるために、犯罪に手を出してしまったのではない――

なんだか急に冷静になって、本を元に戻そうとトートバッグに手を入れる、その時だった。

「おねえさん、万引きですよね」

「えっ!?」

驚いて振り返ると、そこには男が立っていた。

周りには誰もいなかったはずなのに、いつの間に。

にこりとほほ笑む男は、黒い短髪にラフな服装。

どこにでもいそうな雰囲気だが、清潔感があって、クラスにいたらひっそりと人気がありそうな――

まつりより少し年上、20代後半くらいの男性だった。

「見えちゃいました、入れましたよね、今」

「えっ、いや、そんな……」

まさか人に見られていたとは思わず、まつりは慌ててしまう。

その反応がまさに、万引きしましたと言っていることに、気付くことすら出来なかった。

まつりの反応に、男はクスクスと笑った。

「店員さんに謝りましょうね、それとも警察に通報されるのがいいですか?」

「えっ、ちょっと、ちょっと待ってよ……!今、かえそうとしてたところだったし……」

「カバンにいれたらアウトですよね?」

「そ、れは……」

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