ぴこん、ぴこん、とPC画面から聞き慣れた音がする。
見慣れた同僚のアイコンが、次々とチャット画面にログインしてきていた。
「わ、もう忘年会の時間かぁ」
私はちらっと鏡を見て、化粧崩れがないかを確認する。
髪型も洋服も、気合の入りすぎてない、けれど清潔感ある装いだと感じてもらえそうなものを選んだ。
ぴこん、とまた入室を知らせる音が鳴る。
そのアイコンを確認した途端、私の胸はドキドキと忙しない音を立て始めた。
可愛らしい写真でもおしゃれな画像でもない、ただの茶色のアイコンである。
それがなんとも、上司であるその人に似合っていて、私の唇は自然と笑みを浮かべた。
「私も入らなきゃ」
一度深呼吸をしてから、私は何気ない顔でチャットルームにログインした。
「こんばんはー、
おつかれ、よぉ、と同僚たちが気安く返事をよこす。
ご時世柄、各自の自宅からリモートで行うことになった忘年会の、いまは開始時刻の三分前だ。
「皆さん、ご自宅に料理届いてますか?あ、お酒は部長の奢りです」
幹事の言葉を聞いた途端、総勢二十名の社員たちが息をピッタリ合わせて「
「なるべく各自の好みに合わせた酒を送りたいと思ってな、西宮に協力してもらって選んだんだ。良ければ飲んでみてくれ」
にこにこしながら、穏やかな口調で牧谷部長がそう言った。
私は「お口に合えばいいんですけど」と、部長の発言に口を添えて、PC画面に笑顔を向ける。
「あっ、時間ですね。部長、乾杯の音頭をお願いします」
「ん……そうか」
部長は少し照れくさいのか、苦笑気味にそう応えて、手元のビール缶を画面の前にかざした。
「今年も皆よく頑張った。ありがとう。乾杯」
部長のシンプルな挨拶に続いて、乾杯!とPCを通して全員の明るい声が響く。
少人数の部署だからこそ、気が合う合わないは別にして、みんな気心の知れた仲だ。
同じ場で盃を酌み交わせていなくとも、一年の終わりに全員で顔を合わせるのは嬉しいと、素直に思える。
仲良しの同期、飄々として何を考えているのか分からない先輩、おっとりした後輩。
入退社の時期や、時勢などが重なって、いま部署には私以外の女性はいないが、それでも居辛いと感じることはなかった。
お世話になった面々、お世話した面々が画面ごしに雑談を繰り広げている。
けれど、その楽しいはずの内輪トークは、開始早々から私の耳を素通りしていた。
対面でなくPCを通している今、幸いなことに各自の視線がどこに向いているかは分かりにくい。
それを良いことに、私はじーっと部長を見つめた。
ゆるく癖のついた茶色がかった髪と、柔和で温かな眼差し。
部長はいつも、にこにこというより、ほわほわしている。
うっかり革靴とサンダルを片方ずつ履いて来てしまうようなところがあるが、その実力は折り紙付きで、三十歳半ばで重要な役職を任されている。
たぶん背丈は180cmを少し超えるぐらいで、平均的な身長程度はある私でも、見上げないと目が合わない。
社内では敬愛と尊敬と、ちょっとだけ心配の眼差しを集めている部長だが、ライバル企業からは「アイツとは案件を取り合うな死ぬぞ」と言われている。
画面端の部長は、ビールを飲みながら社員全員に届けられた料理に箸をつけていた。
特に発言をするわけではないが、盛り上がる部下を温かい眼差しで眺めている。
背景に映し出されている部長の自室には、あまり物がないようだった。
荒れているわけではないが、きっちりと片付けられているわけでもない、ある意味男性っぽい部屋という印象。
誰かと一緒に暮らしているわけではなさそうだ、と私は密かに胸を撫で下ろした。
「お?」
部長が小さい声で呟いた。
どうやら箸から落ちた豆が転がって、どこかに行ってしまったようだ。
「いなくなってしまった……」
その一連の流れを見ていたのは私だけのようで、思案げに首を傾げている部長に、何かしら声をかける社員はいない。
んんん〜〜っ!かわいい……!
私はニヤつく顔を誤魔化すために、部長が送ってくれたカクテルの缶をぐっと煽った。
甘くて濃いカシスとオレンジが喉を通って初めて、「これ結構アルコール濃いめだなぁ」と気づく。
「ところでさ、西宮」
普段から何かと関わることの多い同期の青山が、赤ら顔をしながら私に声をかけてくる。
マイクに向かって返事をすると、だいぶ酒の入った大きな声がスピーカーから飛び出してきた。
「好きな奴いるんだろ?どーなった?」
………
「黙って」
咄嗟にドスの利いた声が出てしまった。