恋のはじまり

再開と再生…

「お前、中学卒業してから寮に入ったんだってな」

彼の「中に入れてくれ」という無言の要求に、私はされるがまま従った。

来るな、とも、嫌だ、ともはっきり言えなかった。

「……急になんの用」

「なんで俺に言わなかった」

「言う必要、あった?」

「一度も帰らずによく生活できたな」

あぁ、と頭を抱えた。

絶妙にかみ合わない。

「待って、整理させて。だいぶ意味わかんない。まず質問に答えて」

「先に話の腰を折ったのはお前だろ」

「わかった。とりあえず今までのそれには答えるわ。高校は全寮制の学校を選んだのは本当。二度と地元に足を付けるつもりがなかったから、誰にも進路のことは言わなかった」

「戻るつもりはないって……親元から完全に離れるのに躊躇ちゅうちょしなかったのか」

「躊躇も何も、父親から、『金銭面では大学まで責任を持つ』って言われてたの。継母ママハハは私に敵意むき出しだし。安易に帰ってくるなって意味にしかとらえられなかったわ」

飯田の眼が見開かれた。

その動揺が、なにを示しているのかはわからない。

「高校を卒業して、その近くの大学に進学して、そこでも寮暮らしだったから別に一人でもなんとかなって……一度は帰ったわよ。戸籍から私を抜くために、市役所に行ったから」

「……俺のおふくろが、その時のお前を見かけている」

沈黙が下りた。

ぼろいエアコンから流れるぬるい風が今日はやけに寒く感じる。

「おばさん、元気?」

飯田の母親には本当にお世話になった。

母親を亡くしたばかりの私をよく気にかけ、小学校の遠足に菓子パンを持たされていた私を気遣い、こっそりお弁当を作ってくれていた。

でも、あの女、父の後妻ごさいとなる女が現れてから、彼女とはまともに会話していない。

おおかた、まだ私の善良な母親を目指していたあの女は飯田の母に何か言ったのだろう。

「うちの子に手を出さないで」とか「他人が厚かましいのよ」とか。

「……お礼、伝えておいてくれる?あと、できればちゃんとお礼を返せなかったこと、後悔しているって」

「うちに来ないか」

「は?」

「お前が思う以上に、おふくろはお前がいなくなったことに堪えてた。俺だって……て、いうか飯田君ってなんだよ。お前にそういう呼ばれ方したの、初めてじゃねぇか」

「いや、まぁそうなんだけど……」

昔みたいに、『カズくん』と呼ぶのが気恥ずかしくて、というか、中学の後半に至っては会話すらほぼしていないので妙に気まずかったのだ。

「……カズくんさ、なんで私がここにいるって知っているわけ」

なんとなく正論を解かれたのが悔しくて、話をそらした。すると「なにをいまさら」と呆れられる。

「調べた」

「は?」

「まずはお前の家に行って、卒業した高校をなんとか聞き出して、高校に行って、地元にのこっている同級生を探して……大学までたどり着くのは簡単だったが、就職先をあぶりだすのが一番難しかったな。結局三年かかったわ。探偵を使ってもよかったんだが、あいつら信用ならねぇし」

唖然としている私をよそに、飯田……カズ君は、私の知っている、意地悪な笑みのまま続けた。

「で、どうする?俺にここまでさせたお前を、俺としてはなんとか実家に連れていきたいんだわ。お前は、また俺から逃げるんか」

「……逃げるもなにも」

私がいつ、あんたのものになった。

いや、仮にそうであったとしても、先に手放したのはそっちが先のはず。

………

………

――別に好きじゃねぇよ、あんなブス。カワイソーだからたまに会話してやってただけだ。付き合うとかありえねぇだろ。

………

………

中学時代、目の前の幼馴染に言われた言葉は、未だに私の中で呪いのように渦巻いていて、それは既に、許すとか許さないとかそういうことではなく、私の一部分になっている。

「カズくん、最後に一つだけ聞かせてくれる?私が、可哀そうだから私を探したの?」

その質問に意味なんてない。

でも、聞かずにはいられなかった。

そして

「……っ!」

聞かれた方の、彼の方が、よほど痛ましく、可哀そうに表情を歪めた。

「やっぱりいいよ、答えなくて。わかった、あなたの家にお邪魔しようと思う。いつ行けばいい?」

「明日の朝。俺の車で帰るぞ」

「……あのさ、今更だけど、カズ君今日どこで寝るの?この近く宿泊施設ないけど」

「だろうな。だから泊めてくれ」

「嘘でしょう!」

聞けば、今日中に私を見つけられなければその足で帰るつもりだったらしい。

「……布団なんかないよ」

「車に寝袋がある」

「この部屋しかエアコンないんだけど」

「じゃあ陣地決めりゃいいだろ」

待って、仮にもアラサーの二人が同じ部屋で寝る気?

と、続けようとして、これでは自分ばかり相手を意識しているみたいじゃないかと言葉が詰まった。

ブスのくせにガード固いんだな。

そういうの、自意識過剰って言うんだぜ?

一昔前の彼だったら間違いなく言うだろう。

子供のころからイケメンと言われ続けた彼の隣で、地味な私はひたすら容姿を落とす言葉を彼からも周囲からも言われ続けた。

私のことを誰も知らない土地に来てから忘れていた。

無条件に容姿をけなされる痛みも、さげすまれる視線の鋭さも。

「わかった。それでいいよ。明日、早く出るんでしょ?私、シャワー浴びてくる。カズ君も使いたかったら適当に使って」

「……随分あっさりしてんな。もっと渋られるかと思った」

「まぁ車の中で寝ろとも言えないしね」

私は自身の着替えと寝間着を引っ張り出し、お風呂場へと向かう。

その後ろで、彼がなんとも言えない表情をしていたことに、少しは気が付いていた。

大人になってからの距離感が難しいのは、私だけではないようだ。

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