草木も眠る丑三つ時、同好会の皆が寝静まった頃、私はそっと部屋を抜け出した。
あの半ニートのようなお兄さんは、この時間も起きていて、よく二階のベランダで煙草を吸っていることは調査済みである。
なんたって、昨年、私はそこでお兄さんに出逢ったのだ。
夜中に目が醒めて眠れなくなり、夜風に当たろうとベランダに出たら、そこに彼がいた。
ちょっと驚いた顔をしたお兄さんは、でも私が眠くなるまで他愛のない話に付き合ってくれた。
ニートらしいといえばらしいのだが、彼の周りは妙に時間がゆっくりと流れていて、忙しない日常から切り離されているように思えた。
そのおかげか、私は自然と肩の力を抜くことができた。
もっと話してみたい、そう思って、次の晩はわざわざアラームをかけて夜中に起きて、お兄さんに会いに行った。
その時にはきっともう恋していた。
「今日もベランダにいるはず。っていうか、いてくれないと困る」
私は古い階段をゆっくり登り、皆が寝ている一階から二階へと歩いていく。
お客のいない二階には灯りはついておらず、民宿の周りに広がる夜が、そこここから染み入ってきたような闇だけがあった。
そこに、まるで人魂のようにユラユラと燻る炎が見える。
窓の外、秋の涼風の中、探していた相手がぼんやりと煙草を咥えていた。
「大変です、お兄さん」
「ひぃっ!?」
ビクッと肩を跳ねさせて振り向いたお兄さんは、私の姿を見留めるなり、はぁ……と溜息をついた。
「あああ、びっくりした。こんなオンボロ宿で夜中にいきなり声かけないでよ。お化けかと思うじゃないか」
「お化け苦手なんですか?」
「べ、別に」
「じゃあ良かった。実は当たらずしも遠からずで……私、取り憑かれたみたいなんです」
「ええ?そんな訳ないだろ!大体この宿でそんな話し聞いたことないし」
「だってさっきからムラムラが止まんないんです!ウウッ、お化けが私の頭の中に直接話しかけてくるっ!ぐはは、娘よ、助かりたければ目の前の男とえっちなことをしろ~!」
「いや、ぐははって」
「聴きました!?はっ、目の前の男ってお兄さんじゃないですか!助けて下さい!ぐはは、娘よ早くしろ!」
「何これドッキリかなんか?」
「肝試しという意味でならあながち間違ってませんね」
「どう見ても取り憑かれてなくない?」
「どう見ても取り憑かれてるじゃないですか。そうじゃなきゃ、マトモな人間がぐははなんて言う訳ないでしょ」
「何もかもが雑すぎてもはや感心するけど、これはつまりお誘いってこと?」
「そうと言えなくもないですね、ぐはは」
「ふーん。ま、いいよ。角の部屋行く?」
「え……いいんですか?」
絶対断られると思っていたのに、意外や意外、OKを貰ってしまった。
もしや結構、経験豊富なのだろうか。
それとも貞操意識がガバガバなのだろうか。
まぁ、過去はどうあれ、私を最後の女にしてもらって、浮気しませんと血判状をもらえばいい。
「ほら、どうぞ」
通された角部屋は、普段はあまり使用していないのか、がらんどうだった。
畳の香りに混じって、少しだけ黴の匂いがする。
まるで古本を開いたときのような、ノスタルジックなときめきを感じた。
「この部屋には布団とかないから、俺の膝の上おいで」
「そんなの……嬉しすぎるんですけど……」
きゅん、と胸を甘く鳴かせながら、私は照れた笑みを浮かべて、あぐらをかいたお兄さんに抱きついた。
彼の足を跨いで膝立ちになり、首に腕を回す。