マニアック

母親代わりのアラフォー婦人の快楽レッスン

●私はずっと一人ぼっちだった

私の名前は、増岡 美紀子ますおかみきこ

年齢は51歳で、今は独身。

私の人生って、振り返ってみれば、ほぼ一人ぼっちの日々を送っていた気がする。

男性関係も、結婚した旦那が、付き合った最初で最後男性だったし、その旦那とも、
死別して今はいない。

私自身、そんなにモテなかったというわけでもなく、これまでの人生で、何人かの男性に
告白されたこともあったけど、全員断ってきた。

今思えば、もうちょっと勇気を出して、他の男性とお付き合いをしておけばよかったなと
少しばかり後悔している。

その反動もあってか、今では街中を歩いている時、擦れ違う男性を横目で見ては、自分の
好みの男性かどうか、つい確認してしまう自分がいる。

そして、私は胸がHカップとかなり大きかったので、外出する時に着る服装に関しても、
わざとサイズが小さめのものを着ていました。

夏はTシャツやブラウス、冬はぴったりしたタートルネックのセーター。

Hカップの大きな胸がより一層強調されて、擦れ違う男性たちの嫌らしい視線が、
明らかに私の胸に釘付けになっているのがわかりました。

こんな意地悪な誘惑をして、世の男性たちを弄ぶことに喜びを感じている私って・・・。

ここまでするなら、誰か誘えばいいのにと思われるかもしれません。

でもね、これまで告白してきた男性たちとお付き合いしなかったり、街中で道行く男性
たちを一切誘わなかったのには、理由があったの。

それは、どの方も何かお付き合いする決め手に欠けていた感じだったからです。

結婚というものは我慢の連続だ、なんてことをテレビか何かで耳にしたことがあるけど、
ちょっとぐらい我慢することくらいできたはず。

そうしたら、今とは違ったもっと幸せな人生を送れていたのかもしれない。

時々、夜に1人寂しく自分の体をなぐさめることもなかったでしょう。

 

そして、私の家族は、両親が私が4歳の時に離婚してしまった。

父親の経営する会社が倒産してしまい、経済的に苦しい生活を強いられることになり、
我慢の限界を迎えた母親は、

「ちょっと買い物に行ってくる」

と行ったきり帰ってこなかった。

その最後の言葉を聞いて以来、母親の声は聞いておらず、今はどこで暮らしているのかも
わからずじまい。

4歳という幼い年齢だったから、あまり母親の顔の記憶がなく、何となくぼんやりとだが、
涙ボクロがあったのだけは、なぜか鮮明に記憶に残っているのだが・・・。

正直、この先どうなるのかと子供ながらに不安になっていましたが、父親はそんな不安を
払拭してくれた。

アルバイトを掛け持ちするなど、私のために一生懸命働いてくれたのです。

だから、ほとんど家にはおらず、遊んでもらったり、遊園地とかどこかに一緒に出かける
こともない。

夕飯はスーパーで買っておいたお惣菜などが用意されていて、大体はいつも夜は一人で
寂しく夕飯を食べていました。

だけど、父親は男手一つで私を育ててくれて、平凡ではあるけど、私はこうして何とか
今でも生き続けている。

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